第18回「先輩音楽人に聞け!」は、近藤ナツコさんです。

■近藤ナツコ(こんどう なつこ) シンガー・作詞家

1993年I.WハーパーCMソングでプレデビュー、同11月「さんまのまんま」エンディングテーマでデビュー。
映画のエンディングテーマ、CMソング含むシングル7枚、アルバム2枚をリリース。その後、『Double Voice』『熱の花』を結成。
ソロ活動の主軸として『NATSUKO BAND』、石井完治とのデュオCD『あいたくて』『S.I.G.N』発売に伴いライブを中心に活動中。
2014年にはデビュー20周年記念アニバーサルソングとして『向日葵』を発売。
また、一方で作詞家としてNEWS、少年隊、関ジャニ、ジャニーズJr、声優、アニメなどに提供。

ホームページ http://www.ne.jp/asahi/happy/natsuko/


文・インタビュー 佐藤ヒロオ(さとう ひろお)

1962年9月18日生まれ。
毎晩、トッププロミュージシャンが演奏していることで全国的に知られるライブハウス「荻窪ルースター」のオーナー。著書「荻窪ルースター物語」、「ライブハウス オーナーが教える絶対に盛り上がるライブステージング術」(ポット出版)がある。


音楽人をご覧いただいている方の中には「いつかデビューしたい!」と考えている方も多いでしょう。

この「先輩音楽人に聞け!」では皆様の参考になればと、デビューするためにはどうしたらいいのか?
プロとしてやっていくにはどうしたらいいのか?
あるいは、その後、どうすれば仕事として続けていけるのか?
などをいろんな先輩音楽人のみなさんに聞いてみました。

それぞれの先輩からなるほどと思う話が聞けましたが、今回はプロとしてやっていく方法はひとつではないかもというお話を近藤ナツコさんに伺えました。

ぜひ読んでみてください。


■最初にナツコさんがプロになるまでのお話を簡単に教えていただけますか?

はい、6歳年上の兄の影響でカーペンターズとか洋楽を小学校から聴いていたんです。

中学校では女子3人組でフォークギター弾いて文化祭で歌いました。
その時はフォークとかでした。

■中学生からステージに立っておられたのですね。では高校に入って本格的に活動されたんですか?

いえ、高校ではテニス部に入部しました(笑)。

でも音楽は大好きで、しょっちゅうレンタルレコード借りて聴いていました。
あの頃はちょうどニューミュージックブームだったので日本の音楽を中心に聴いていました。

■なるほど。ではいよいよ本格的に活動するのは大学時代ですね(笑)?

大学もテニスサークル入るつもりだったんですよ(笑)。

ところが、兄のバンドをライブハウスで見て「わーーーっ」ってなったんです。

ライブハウスってところでは大きな音で生で演奏してるんだ。
すごい、しかも兄が出てる。
知らなかった世界だけどいきなり近い感じでした(笑)。

■初めてライブハウスに行ったんですね?

はい、もう、「こういうところあったんだー」ってなりました。

しかも、兄はブルースブラザースとかサム・クックとかの曲をやっていて。
その時は誰の曲とか知らなかったけど、しぶいなあって思ったんです。

だって私、普通の女の子でしたから(笑)。
いっぱい音楽聴いていたつもりだったけど、そういう音楽はほとんど知らなくて。

もうすごい興味津々になっちゃって、内緒で兄のレコード借りて聴きまくってました(笑)。

■で、ご自身でもライブハウスに出ようってなったのですか?

最初は本当にテニスサークル、どこにしようかと探していたんですよ。

でもある日、お友達が別の大学の音楽サークルを見学に行きたいって言うので付いて行ったんです。
そしたらなんか私も入ることになっちゃってまして(笑)。

おかげで大学時代は音楽の幅がすごく広がりました。
オールディーズとかR&Bとかやりましたし。
あ、昔のスタイルのR&Bですよ。
今のじゃなくて。

あと、かっこいいバンドを見に行く事も多かったですね。
ソウルフルでブルージーなバンドとか。

その一方で日本のポップスとかも大好きでした。

■なるほど、この頃にブラックミュージックにも大きな影響を受けているんですね。卒業後はどうされたのですか? テニスサークルですか(笑)?

新聞社に就職したんです(笑)。
就職すると音楽をやめるっていう人も多いのですけど、私は歌いたくて。

だから仕事はちゃんとするけど、お休みは音楽。
レッスンにも行ってましたよ。
課題曲はほとんど、アレサ・フランクリンの曲。 ところが、しばらくすると「これでいいのかなあ」って不安になったんです。

どこか本当の自分じゃないような気がして。
で、思い切ってアメリカに音楽を聴きに行く旅に出たんです。

■どんなところへ行かれたのですか?

ニューヨークからシカゴへ行き、ミシシッピーを南下して、メンフィス、ニューオーリンズまで行きました。
一ヶ月半くらいかけてルーツ音楽の旅をする感じです。

いろんな出会いや体験をしましたけど、その旅の最後に運命のような場所がありました。

ニューオリンズでバーにふらっと入ったんですけど、そこである白人の女性が歌っていたんです。
それがもう言葉では言い表せませんけど、本当にのびのびと自然体で楽しく歌っていて。
私、その歌を聴いてなんだかもう「ああ、歌っていうのはこれでいいんだ」って感じがしたんです。

むつかしく考えなくてもいいんだって。
で、なんと私、一緒に飛び入りで歌わせてもらって。
それで完全に吹っ切れた感じがしたんです。

■自分探しの旅で見事に見つけたって事ですね。

はい。その後、ものすごく音楽したくて。
日本に帰ったらもうどんどんやってました。

で、私、この後、転職するんですけどそこで凄い事になったんです。

 


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